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エディー・ジョーンズ (ラグビー指導者) : ミニ英和和英辞書
エディー・ジョーンズ (ラグビー指導者)[もの]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ゆび]
 【名詞】 1. finger 
指導 : [しどう]
  1. (n,vs) leadership 2. guidance 3. coaching 
指導者 : [しどうしゃ]
 (n) leader
: [もの]
 【名詞】 1. person 

エディー・ジョーンズ (ラグビー指導者) : ウィキペディア日本語版
エディー・ジョーンズ (ラグビー指導者)[もの]

エディー・ジョーンズ(, 1960年1月30日 - )は、オーストラリアタスマニア州バーニー出身のラグビーユニオンの元選手、指導者。ラグビーイングランド代表ヘッドコーチ(2015年12月 - )、ラグビー・フットボール・ユニオン所属(2015年12月 - )、ゴールドマン・サックス日本アドバイザリーボード(2016年1月 - )〔[http://www.goldmansachs.com/japan/who-we-are/media-relations/press-releases/current/11-27-2015.html 「エディー・ジョーンズ氏、ゴールドマン・サックス日本アドバイザリーボードメンバーに就任」Goldman Sachs Japan, 2015年11月27日〕。
== 来歴 ==
;現役時代
現役時代のポジションはフッカー。身長173センチ、体重82キロ(公式発表)と大柄なフッカー選手が揃うオーストラリアラグビー界では小柄な体形であるが機敏な動きで活躍した。ニューサウスウェールズ州代表に選出された経歴を持つが、オーストラリア代表(ワラビーズ)に選出された経歴はない。1992年シーズンで現役生活から引退した。
マトラヴィル・ハイスクール在学時にはD・ノックス(ワラビーズ13キャップ)、エラ兄弟(マーク(ワラビーズ25キャップ)、ギャリー(ワラビーズ6キャップ)、グレン(ワラビーズ4キャップ))らと共にランドウィッククラブでプレーした。
シドニー大学体育学を専攻し1982年に卒業(学位は教育学士)。大学卒業後は教員となり高校で体育を教える。プロラグビーコーチ転身前の1994年はオーストラリアの高校で学校長を務めていた。日本人妻とはこの高校で知り合い結婚する。
;東海大学ラグビー部監督 兼 日本代表スタッフ
1995年東海大学体育会ラグビーフットボール部の青森合宿に参加するため初来日。1996年に同部コーチに就任。ラグビー指導者としてのキャリアは日本が始発点となる。同年ラグビー日本代表フォワードコーチを兼任。
;ブランビーズヘッドコーチ
1997年4月、サントリーサンゴリアスフォワードコーチに就任するも、スーパーラグビーACTブランビーズヘッドコーチに内定したため同年9月に移籍。ACTブランビーズとは4年契約を結び2001年までヘッドコーチを務める。2001シーズンにはスーパー12ファイナルで南アフリカのシャークスに36-6で勝利し初タイトルを獲得。オーストラリアのラグビーチームとしては初となるリーグ制覇を達成。この間の通算成績は28勝20敗。
1999年にオーストラリアン・バーバリアンズコーチを兼任。
;オーストラリア代表ヘッドコーチ
2001年、ロッド・マックイーンの後任として、ノンキャップながらワラビーズのヘッドコーチに就任。代表キャプテンにジョージ・グレーガンを指名。2003年ワールドカップではワラビーズを決勝戦延長まで進めるもイングランド代表を前に17-20で敗北。オーストラリアラグビー協会とは2007年ワールドカップ終了までの契約を結んでいたが、2005年シーズンに9戦8敗と大きく負け越しこの年に代表ヘッドを更迭された。ワラビーズでの通算成績は57戦33勝23敗1分。2007年、レッズのヘッドコーチに就任するもチームは14チーム中14位に終わり、ジョーンズのコーチ業は終わったと酷評された。
;南アフリカ代表スタッフ
2007年南アフリカ代表(スプリングボクス)のチームアドバイザーに就任し、2007年ワールドカップでのスプリングボクスの優勝に貢献。
;サラセンズヘッドコーチ
2008-2009シーズンはサラセンズヘッドコーチ(12チーム9位)。
;サントリーサンゴリアスGM 兼 ヘッドコーチ
2009-2010シーズンはジャパンラグビートップリーグのサントリーサンゴリアスGM、2010-2011シーズンはサントリーサンゴリアスGM 兼 ヘッドコーチを務め日本選手権優勝。2011- 2012シーズンはトップリーグ制覇と日本選手権優勝の2冠達成。外国人指導者としては初となるリーグ制覇を達成した。
;日本代表ヘッドコーチ
2011年12月、ラグビー日本代表ヘッドコーチに内定。契約期間は2012年4月からラグビーワールドカップ2015終了後の12月31日まで。2012年4月に正式就任し、同年6月にウェールズ代表から初勝利をあげるなど日本チームの向上に貢献した。2013年10月に脳梗塞と診断され、一時入院した〔。
2015年8月25日、同年11月1日付けで日本代表ヘッドコーチを退任することが日本ラグビーフットボール協会より正式に発表される〔Yahoo News, 2015年8月25日〕。
2015年9月21日スーパーラグビーに参戦するストーマーズヘッドコーチに内定〔ジョーンズHC来期は南アのストーマーズ指揮 〕〔ラグビーリパブリック、2015年09月22日〕。契約期間は2018年シーズン終了までの2年。
2015年ラグビーワールドカップでは世界的な強豪チームである南アフリカ代表に勝利し24年ぶりにワールドカップ2勝目を勝ち取るなど4戦3勝1負の成績を残すも、ボーナスポイントの不足により予選プール敗退。日本代表HCとしては、通算成績44戦29勝15負。勝率66%。
;イングランド代表ヘッドコーチ
2015年11月13日、ストーマーズヘッドコーチに正式に就任。正式就任前よりイングランド代表HCを退任したスチュワート・ランカスターの後任候補として注目され、同年11月20日、ラグビー・フットボール・ユニオンはジョーンズがストーマーズとの契約を解除し、イングランド代表ヘッドコーチに同年12月に就任と発表した〔http://www.bbc.com/sport/rugby-union/34864504〕。契約期間は2019年シーズン終了までの4年契約。イングランド代表としては初となる外国人ヘッドコーチに就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エディー・ジョーンズ (ラグビー指導者)」の詳細全文を読む




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